大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

高松地方裁判所 昭和31年(ワ)30号 判決

原告 玉木静子

被告 黒川伊太郎

主文

被告は原告に対し金十四万四千九百七円及びこれに対する昭和三十一年二月二十三日以降支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを四分し、その一を原告の、その三を被告の負担とする。

この判決は、原告において金四万円の担保を供するときは、原告勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

事  実〈省略〉

理由

被告が昭和三〇年一〇月三一日午前九時半頃、軽自動二輪車を操縦して大川郡長尾町より志度町に通ずる志度街道を志度方面(北)に向つて進行中造田村大字宮西四八三の一番地先である原告方東側の道路上において、原告と衝突し、原告が負傷した事実は当事者間に争がない。

そこで、先づ右事故につき被告が責に任ずべきであるかどうかを判断する。成立に争のない甲第一一号証の三及び現場検証の結果によれば、右事故現場及びその附近は右道路が殆んど勾配のない直線となつておる。そして道巾約四米で、歩車道の区別がなく、又舖装されていないが路面は堅く平担で且砂利等のないところである。しかして、その西側に〇、七五米の溝を隔てて、原告方家屋があり、家屋南寄りの溝上に架設された巾一、六〇米の石橋が原告方門に通じておる。又その東側は田圃である。従つて長尾町方面より進行する場合北方の見通は良く、右原告方門のところに幼児が遊んでおるような場合、その南方約一五米の地点よりたやすく現認し得られることを認められる。

ところで成立に争のない甲第六号証、第一一号証の一、二、三、六、七、証人松代一義の証言、被告本人尋問の結果並びに前示現場検証の結果を綜合すれば、被告は当時約七貫匁の書籍を積載した軽自動二輪車を操縦し右道路を志度町方面に向い時速三〇粁程度で、ほゞ中央部を進行しつゝ右事故現場附近(南方)に差しかゝつた際、その前方道路右(東)側約二〇米位のところに男幼児がおるのを発見しながら進行を続けているうち、前方約六米の左(西)側原告方の門前石橋に南え向いてしやがみ遊んでいる幼児(原告)を認めた。けれどもまさか道路上に走出することもないものと考へ両幼児の間を通り抜けようとし、しかも警笛を吹鳴することなく、僅かに時速を二〇粁に緩め道路のやゝ西寄に進行を移したところ、その瞬間原告が車の進路上に向つて走り出るのを発見したが、なお無事通過できるものと速断し、避譲は勿論急停車の措置もせず進行したので遂に原告と接触し、その際僅かに把手を右に切つたが及ばず、右自動車左側のバンバーに原告を引掛け、そのまゝ約六米引摺り道路上に転倒させた末、東側田圃に突込んだので漸く停止するに至つたような状況であつたし、そのため右自動車前車輪の泥除等で原告の前頭部に打撲創(弁状剥離創)等を被らせたことを認められる。この認定に反する被告本人の供述は採用できない。

被告は事故現場附近(南方)で前示門前におる原告を認めることは不可能である旨主張するが、前示認定の如く約一五米の地点において容易に認め得るから右主張は理由がない。又被告は原告だけに過失がある旨主張するけれども、弁論の全趣旨により明らかなように原告は当時満三年足らずの幼児であつたのだから意思能力を有せず従つてその行動を原告に帰せしめることを得ない、それ故過失の有無を論ずる余地がないのでこの点の主張も失当である。

そうすると、右認定のような状況の場合、被告としては前方の注視を怠りその前方左側約六米に近接するまで原告の所在を知らなかつた過失があるのみならず、原告の如き幼児は意思能力は勿論自己の行動につき危険を弁識する能力もないのでその進路に飛出すかも知れない等、危害発生の虞れあることを容易に予測し得られるから直前に停車、又は進行するとしても、絶えず警笛を吹鳴して車の進行を知らしめると共に、幼児の行動に注意を払い、何時でも急停車できる程度に減速し、万一危険な行動に出る気配のある場合は直ちに急停車、避譲する等の処置をして安全を確めた上進行しなければならない注意義務があるに拘らず、被告は原告が道路上に駈出すことはないものと速断し、僅か減速しただけで進行する等右の注意を怠り、かつ原告が前方に駈出して来るのを認めながらも急停車避譲の措置をとることなく、なお無事通過できるものと軽信して進行をした等の過失があることも明らかであるというべきである。従つてその結果右事故により原告の蒙つた損害を賠償すべき義務がある。

よつて、次に原告の蒙つた損害について判断する。成立に争のない甲第一号証、第二号証の一ないし四、七、第六、七、八号証、第一一号証の四、原告法定代理人玉木富佐子本人尋問並に原告本人の容貌の検証の結果によれば、原告は本件事故により頭頂部全般に及ぶ剥離創、頭部打撲創の傷害を受け、直ちに大川病院に入院し一五日間在院のうえ一応の治療を受け、その後大阪大学附属病院、県立高松病院、三宅病院等で診療を受けたが全治に至らず、昭和三一年一月一〇日高松赤十字病院に入院し、同年二月一九日まで加療し、更らに大阪所在の白壁病院において、治療したが未だ前額部にその傷痕を止めていること、そしてそれらの費用として、合計金二四、九〇七円(別紙(省略)費用明細書記載のうち中耳炎治療費を除く全額)を要したことが認められ(尤も成立に争のない甲第二号証の四、五によれば、高松赤十字病院に入院中中耳炎治療費として合計一、三六九円を支出しているが、右傷病が本件事故に関係して発病した旨供述する玉木富佐子の供述は信用するに充分でなく、他にこれを認める証拠がないから本件事故による損害とは認め難い。)又前認定の如く原告が右負傷により且又その治療において受けた精神的肉体的の苦痛の大なるものがあつたこと明らかであるし成立に争のない乙第一一号証の四、六、第一二、一三号証及び被告並に原告法定代理人玉木富佐子の各本人尋問の結果を綜合すれば、前認定の如く該負傷は今日なおその前額部に傷痕を止めておるので頭髪を下げる時はそのため大部分がかくれるようになるから、いわゆるオカツパをする幼少時代は多少しのべるとしても成長し髪を上げるようになれば、整型手術をしなければならないであらう、又それにしても外傷前と同一な状態となることは困難であることが窺われ、女性としてその精神的苦痛は計り難いものがあることは容易に相像し得るところであるとともに、原告の家庭は、父母が田九反余、畑三反位を耕作している居村中流の農家であり、原告はその二女で他に四人の子女がおること、他方被告は宅地(九七坪余)店舖並びに住宅等(五〇坪余)その評価合せて五〇万円位の資産を有し、書籍文具商を営み、それに自動二輪車を使用する如く盛大で、尠くとも、年間三〇万円余の純益を納めている、そして本件の事故に関し原告の大川病院の入院治療費等一万円余を支出していることを認められるのでその慰藉料は金一二万円を相当とする。

被告は原告の如き幼児を交通頻繁な場所に一人遊びさせたのは親権者において保護監督の義務を怠つた過失があるとして過失相殺の主張をするけれども、民法七百二十二条第二項に所謂「被害者に過失あるとき」とは、まさしく被害者自身の過失を云うのであつて、これを本件について云へば、被害者たる原告玉木静子の過失を指すものであるからその親権者の過失は同条の過失にあたらないこと明らかであるから過失の有無を論ずるまでもなく主張自体理由がない。

そうすると被告は原告の蒙るに至つた、右認定の如き物的、及び精神的損害の合計金一四四、九〇七円を賠償すべき義務があると云うべきであるから原告の請求中右金員及びこれに対する訴状送達の日の翌日であること記録に徴し明らかな、昭和三一年二月二三日以降支払済に至るまで年五分の割合による遅延損害金を求める限度においてこれを認容し、その余はこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 太田元 坂上弘 西村清治)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例